本体価格2,200円 A5判 240頁

 978-4-385-32299-5

 2012年7月24日三省堂発行

  自治体の計画行政と危機管理を中心とした都市ガバナンスのあり方を提示。後藤新平の「東京市政要綱」から始まる自治体の計画行政を検証し、三宅島・ニューオーリンズの災害からの復興過程の分析などを通して、ガバナンスの意味を明らかにする。

▼あとがき  ▼目 次   ▼著者紹介

●あとがき
  本書では、自治体計画の策定や危機管理の実施過程で果たす行政の役割を中心に都市のガバナンスを論じた。

 実際の都市ガバナンスでは、これに政治家がどう関与するかということも大いに問題となる。政治家は世論を尊重しつつ、将来世代や少数弱者の幸福にも配慮し、時には辛い政策選択についてもそれが必要な場合は理由を明示して根気強く世論を啓蒙していかなければならない。そのために代議制民主主義というシステムが編み出された。政治家という職業は代議政治のために存在する。

 もし、すべてを国民投票で決めたとしたら、将来のための政策決定は困難になるだろう。少数弱者に配慮した政策の決定も困難になるだろう。国民はそれぞれに生活に追われている。常に国全体、世界全体の動きをつかみながら真に国民の幸福につながる政策を選択するのが政治家の役割だ。

 たとえば、隣国から不当な圧迫を受けた国があったとする。世論は「戦争だ」と沸騰する。こんなとき、民意に迎合するのでなく冷静に国際情勢を分析し、外交努力で問題を解決する不人気の道を選択するのも政治家の役割だ。

 第1次大戦の後にできたドイツのワイマール憲法は、国民主権、男女平等の普通選挙を定め、当時としてはきわめて民主的な憲法だった。しかしそのワイマール憲法下でナチスの政権が誕生し、第2次大戦が始まる。

 民主主義は、制度があるだけではだめで、国民も政治家もそれを守り育てていかないと機能しない。ナチスは民主主義の制度を悪用し国民世論を煽り、選挙を活用して政権を取った。私たちは、国民の感情のうち、安易な部分に迎合し取り入り煽る政治家を警戒しなければならない。昨今のように、奇をてらった、ありえない政策を唱える政治家の言動を珍しいからとか斬新だからという理由で好んで大きく報道する一部のメディアをも警戒しなければならない。

 現代のように不安が多い時代にこそ、国民は、地味で目立たなくとも堅実な政策の選択肢を示す政治家を大切にすべきだ。国民に迎合するのでなく国民感情の理知的な部分に根気強く訴え続ける、啓蒙的な政治家を尊重すべきだ。

 「そんなことは国民が許さない」などという安易な発言でなく、政策を取り巻く状況の全体像を示して「国民にこれだけは理解してほしい」という冷静な発言をする政治家を大切にすべきだ。

 具体例を一つあげると、乳幼児医療費助成制度から子ども医療費助成への拡大現象がある。乳幼児医療費助成制度は、乳幼児は健康が不安定で病気が多く、時に大事に至ることもあるので、医療にかかることを経済的理由で抑制することのないよう、医療費の本人負担分を軽減する政策である。

 近年は、この制度が乳幼児のみならず小学校入学後にも拡大し、さらに中学校、自治体によっては高校生へと拡げられつつあるようだ。対象年齢や所得制限、支給方法などは自治体によって異なり、まるでサービス競争のような状況を呈しているように見えるが、制度趣旨について十分煮詰まった議論が行われているのだろうか。

 一般に、現金給付的な政策については抑制的であることが望ましい。この種の政策についてはどうしても迎合的になったり人気取りになり、いったん始めると止めることができないからだ。

 私は都庁勤務時代、苦い経験をもっている。老人福祉手当である。1972年、当時の美濃部知事は寝たきり老人に対して月3千円の現金を老人福祉手当として支給することにした。初年度の所要額は2億円だった。この手当は、介護や老人ホーム入所等の高齢者福祉サービスを受ける人はもらえない。家族介護を前提している。

 これに対して美濃部都政をばらまき福祉だと批判して当選した鈴木知事は、この手当を廃止することはできなかった。廃止どころか、任期中の16年間、値上げを欠かすことはなかった。青島都政時代にようやく値上げは止まったが、石原都政スタート時点で月5万5千円、総額350億円の事業に膨らんでいた。

 これを廃止できたのは、介護保険制度がスタートしたからだ。要介護者には介護サービスを提供することが義務づけられたからである。それまで廃止できなかったのは、安上がりだからでもある。特別養護老人ホームへの入所や要介護度の最も高い高齢者への在宅サービスは最高で月40万円くらいかかる。老人福祉手当で家族介護のほうがずっと安上がりなのだ。

 現金給付をいったん始めると止めることができないことをベネフィット・トラップ(給付の罠)という。行政も受給者も罠から抜け出せなくなる。誰だって医療費の自己負担は安いほうがいい。しかし必要な経費は徴収するのが原則だ。自己負担分を軽減するときはよほど吟味しないと将来世代に負債を残す結果になりかねない。

 本来的に自治体の政策は、安易に現金給付に頼るのでなく、もし真にそれが必要だとしたら、医療、福祉、教育など実質的なサービスの充実に力を入れるべきだ。

 政治家は、市民に迎合するのでなく市民を啓蒙して、必要な負担はして頂くよう呼びかける役割ももっている。世論の喜ぶことだけしているのだったら政治家は不要だ。政治家をなくして世論調査によって政治決定をすればいい。世論は無料を喜ぶがすべてそれに従っていては社会が成立しない。そこで選挙で政治家を選び、政治家が専門的に検討して税の使途を重点的に決める役割を担うことになっている。これが代議制度だ。必要な現金給付は何なのか、もっと慎重な議論をしてほしい。

 本書では、危機管理概念の拡大による自治体計画との接近というテーマも扱った。危機管理はいざというときの対処だが、予防や準備がなければ的確に対処することはできない。危機管理について私たちはいろいろな想定をしてシミュレーションや訓練を実施するが、実際に発生する危機は想定を超える。想定外だからこそ、それを危機と呼ぶ。事態が想定内だったらマニュアル通り対応すればいいのでそれは危機でも危機管理でもない。

 予防や準備を危機管理の対象とするのは想定外のことをなるべく少なくする、すなわち危機そのものを減少させるためである。いろいろな想定をしてシミュレーションや訓練を実施するのは、そのことによって実際に発生した想定外の事態への対処がより的確なものとなることを期待するからである。

 だから実際に発生した危機への対処において足りなかった点を検証し、今後発生しうる危機に対処するため予防や準備の処置を講ずることは危機管理の進化にとって大切なことである。東日本大震災から1年が経ったが、この未曾有の災害を経験して日本の危機管理をどれだけ進化させ得たか。

 現地の復興にあたっては、高台移転、堤防強化、水門強化、避難ビルの建築その他数々の代替案が検討されたり実行されようとしている。日本の各地で地震想定や地域防災計画の見直しが進んだ。津波に備えて防潮堤や水門の強化、液状化対策も検討あるいは開始されている。大都市の密集市街地や主要道路沿道の建築物の耐震強化や延焼防止策も強化されている。全国の自治体と市民はそれぞれに現地を支援した。現在もそれを継続中である。

 具体的な多くの改善がなされたり、あるいはなされようとしている。しかし過去の大災害で必ず見られる「このときにこれができた」というような鮮明な危機政策を私たちはまだつくっていない。

 1995年の阪神淡路大震災の遺産の第1は、政府や自治体の危機管理体制である。まだまだ不十分ではあるが、少なくとも危機への対処はトップが先頭に立って行う意識は定着した。第2に、この時の各種市民団体の活躍が契機となって1998年にNPO法(特定非営利活動促進法)ができた。第3に、1998年に被災者生活再建支援法ができて、自然災害により住家が全壊した世帯に対し最高100万円(中越地震のあと200万円を加算)の支給をするための基金をつくった。初の支給は三宅島の全島避難だった。

 阪神淡路大震災に限らず大災害に遭遇するたび、災害対策の仕組みは整備されてきた。第2次大戦後、台風襲来の都度多くの被災者が発生したため1947年の災害救助法は避難所、仮設住宅、生活用品の支給を決めて現代に至っている。1959年の伊勢湾台風は5,000人を超える人が犠牲者となり、1961年に区市町村長による避難勧告・避難指示を一つの柱とする災害基本法をつくった。1923年の関東大震災は東京を近代都市として生まれ変わらせる契機となった。

 東日本大震災の遺産として私たちは何を残すのか。何をもって日本の危機管理の進化とするのか。この点についての議論の進化と拡大がいま求められている。

 2011年3月11日、私は大手町で会議に出席していた。地震発生で会議は終了となり、15分ほど歩いて御茶ノ水にある明治大学の研究室に戻った。

 すぐにラジオをかけ、インターネットのニュースを開く一方、電話に飛びついた。今晩の船で80人ほどの団体で新島に行くプロジェクトを中止にしなければならない。電話は通じたり通じなかったりしたが、中止は自明ということで関係者は了解した。そのあと何人かの地震学者に連絡した。いろいろ言ってはいるが「正直に言って何が起きたかわからない」ということのようだ。

 ニュースで地震の規模を示すマグニチュードが8くらいのことを言っている。1923年の関東大震災がマグニチュード7.9だからそれを上回っている。そのうちにインターネットの画面に津波の映像が写りだした。夜になって津波による火災の映像も放映されるようになった。その後、マグニチュードは9.0ということになった。関東大震災の約40倍だ。地震の規模が当初の判定より桁違いに大きかったのだから、津波の警報も間に合わなかった地域があったかもしれない。

 日本という国が今までに、発生しうる地震として想定し種々の対策を講じることを決めているのは東海・南海・東南海の3つの地震である。このうち東海地震を想定した大規模地震対策特別措置法ができたのは1978年である。それから30年以上を経て、阪神淡路大震災、福岡県沖地震、中越地震、そして今回の東日本大震災と、法律で決めていない地震ばかり発生している。

 私たちのもっている科学技術はこれほどに未熟・未発達なのだ。私はあらためてこのことを痛感した。想定外の地震だったと言うと、「なぜ予測できなかったのか」と怒る人もいるが、私はむしろ、人類の文明の未熟さを謙虚に反省すべきだと思う。

 私は当事者として、このことを思い知ったことがある。2000年6月、東京都三宅島のマグマが動き出した。東側の地中で動いていて地震が頻発しているので、その地域の島民約2,000人が島の北部に避難した。東側で割れ目噴火を起こす可能性があるからだ。そのマグマが雄山の下を通って島の西側に移動し海底爆発が観測された。いったんエネルギーを放出したわけだから当分大丈夫だろうというわけで、税によって運営される学者専門家の会議が「今回はマグマの動きが手にとるようにわかった」と安全宣言を出した。

 東京都の防災担当の副知事として現地にいた私は、その安全宣言に疑問を呈した。現地ではまだ震度5くらいの地震が頻発していたのである。マグマはまだ動いている。現地で観測に従事していた、いわゆる長老ではない学者も「安全宣言」と聞いた途端、絶句していた。

 このとき、三宅島には派手な噴火の映像を撮るためもあって数百人のプレスの人たちが来ていた。学校で理科を習った人もいれば授業を聞いていなかっただろう人も多い。記者会見で「東京都は噴火を止められないのか」と私に詰め寄る記者もいた。

 安全宣言に従うことをためらう私たちに対してプレスの一部は現地の記者会見で「都知事が来島するまで待って避難勧告の解除を遅らせたのか」などと放言し、その邪推をニュースとして報道されたりもした。

 その後、三宅島のマグマは学者専門家の会議による安全宣言下で新潟県にまで灰が降り八王子で二酸化硫黄の環境基準上回るほどの大規模な噴火を繰り返し、約2か月後に全島避難に至る。島民が島に帰ったのは4年半後、2005年のことである。

 ことほど左様に、私たちは地中の足元のことがわかっていない。人類は宇宙の彼方から土や石を持ち帰っている。しかし地下は約10キロメートル程度にしか到達していないのだ。宇宙のことより地中のことのほうがよほどわかっていない。

 電気を起こしても電線で結ばないとその電気を使うことはできない。これは学校で理科の実験で習う。電線を敷くにはお金がかかる。実際、発電より送配電にお金がかかっているのに託送料金を安くすれば発電が盛んになり電気代が下がると主張する。どこに発電所をつくり送配電網のお金を誰が払うのかは無視して議論する。経済の議論をするにも理科知識がないと空虚な意見となる。

 私たちはもっと理科を重視すべきだ。法律学で学士となり政治学で博士となった私だがあえて言いたい。3・11で人類は科学技術の未熟・未発達を思い知るべきだ。人類は自然の脅威に対してもっと謙虚になったほうがいい。

 本書では、後藤新平の8億円プランと震災復興計画を自治体計画のモデルとして扱った。その後藤新平に対して、アメリカ人であるチャールズ・オースティン・ビーアドがなぜ、はるばる日本に2度も渡航して後藤新平の東京市政に対して的確な助言をしたのか。

 1997年に『小説 後藤新平』を書き上げてから、私は5月の連休を利用してビーアドの考え方を知るためニューヨークに調べに行った。渡航前にまず、ニューヨーク市政調査会に「ビーアドのことを調べたいので市政調査会の資料室を見せてほしい」旨のファクスを出した。すぐに返信があり「当調査会にはビーアドの資料はないのでご協力できない」とのことだった。ビーアドはコロンビア大学の教授だったが辞職後、ニューヨーク市政調査会の常務理事だったのに、である。私はそれまでニューヨーク市政調査会の東京関係の調査に協力していたのに、である。

 やむを得ない。ニューヨーク市立図書館に行って調べた。その結果、ビーアドは政治学者として、「アメリカはアジアを植民地にするのではなく、友好的に接して、彼らの発展に手を貸すべきだ」という考えから、東京を近代都市にするために多くの助言をしたことがわかってきた。

 それなのになぜ、ニューヨーク市政調査会は私のビーアド調査に冷たい態度をとったのか。その理由は、近年出版されたビーアド『ルーズベルトの責任──日米戦争はなぜ始まったか(上)(下)』(開米潤監訳、阿部直哉・丸茂恭子訳、藤原書店、2011年・2012年)を読むとわかる。この本は1948年にアメリカで刊行されたが、戦勝国アメリカの戦争責任を問うだけに不買運動が起きたほどである。政治家の極致ともいうべき、アメリカ大統領の職にある政治家の役割を深く考えさせる本である。

 ビーアドは、日本が日露戦争以降に東アジアで築いた権益と領土、軍事同盟のすべてを直ちに放棄することを求めたハルノートや、アメリカ、イギリス、オランダ、中国が1940年ころから日本に対する資源輸出を制限し、日本が資源不足のなか、窮地に追い込んだABCD包囲網を厳しく批判している。

 もともとビーアドは、戦争中の1943年にアメリカで出版した『アメリカ共和国』(松本重治訳、みすず書房、1988年)で、出馬すれば必ず勝ったのに3選出馬しなかったジョージ・ワシントンを例に引いて大統領に3選したルーズベルトを暗に批判していた。リンカーンも南北戦争中であったにもかかわらず大統領選挙を延期せずきちんと選挙をやったと強調している。戦争が終わってからフランクリン・ルーズベルトの対日政策を真っ向から批判した。一部のアメリカ人は正論を主張したビーアドに反発した。それでニューヨーク市政調査会はビーアドの問題を避けようとしたのだ。

 日本人は、こういうアメリカ人をもっと大切にすべきだ。日本人が感謝すべきアメリカ人を3人あげるとすれば、私はこのビーアドに加えて、ロックフェラー3世とエドウィン・O.ライシャワー大使をあげたい。

 ロックフェラー3世は、第2次大戦後、息子たちを日本兵に殺されて反日ムードが蔓延するニューヨークで、日米文化交流を行うジャパン・ソサエティーを再建した。私は三宅島とニューオーリンズの災害交流プロジェクトでジャパン・ソサエティーの支援を受けた。今回の東日本大震災にあたって、ジャパン・ソサエティーはいち早くニューヨークで募金活動を行い、東京災害ボランティアネットワークのために多額の資金を提供した。ちなみにビーアドの訪日旅費を提供したのはロックフェラー2世である。

 ライシャワーは、BIJ(日本生まれ)である。父は宣教師で日本に赴任し明治学院の構内に住み、手話でなく口話を基本とする日本聾唖学校(現在、町田市)をつくった。日米安保闘争のあとの難しい時期にケネディ大統領によって日本大使に任命され、青年に刺されて重傷を負った。日米両国は日米関係のさらなる悪化を深刻に懸念したが、「たくさんの輸血により日本人の血が混じりました」とコメントして安心させた。しかしこの輸血により肝炎に苦しみ長い闘病生活の末に亡くなった。私は今、日本聾唖学校の評議員を務めている。この学校の行事等に参加するたび、ライシャワーのことを思う。

 本書は、2007年に三省堂から出版した『自治体の政策創造』の続編ともいうべき位置にある。

 36年間都庁に勤務したあと、明治大学専門職大学院ガバナンス研究科(途中で組織変更があった)にこれまで8年間勤務した。ここに思わぬ長居をしているのは、ここに集う自治体職員、議員、首長、会社員、市民活動家たちと意見交換を重ねることこそ自分が生きる道だと実感したからである。また、ここに集う人たちの、自分の利害から離れ、生活を賭け人生を賭けた熱心な政策議論にこそ日本の未来があると確信したからである。

 私の活動は基本的に、明治大学専門職大学院ガバナンス研究科を修了した人たちのネットワークである都市政策フォーラムに依拠している。本書はここに集う人たちをはじめ全国の地域や現場におけるリーダーとして働く人たちに対する連帯のメッセージである。多くの職業人が、それぞれに多忙な中で自らの政策論を磨こうと日夜勉強している。私はこれからも、そういう人たちと共に歩んできいきたいと思う。

 本書は私の授業ノートでもある。同時に、都政研究、東京新聞、環(藤原書店)、自治体法務研究(ぎょうせい)、地方自治職員研修(公職研)、自治体危機管理研究(日本自治体危機管理学会)などに連載あるいは掲載してきた記録がベースになっている。消費者機構日本、財団法人地域生活研究所、東京都ホームレス就業支援協議会などの市民活動、さらにはジャパン・ソサエティーやフォード財団の支援を得て行った三宅島とニューオーリンズの被災者の交流活動などによって得られた知見が大いに反映されている。荒川区、文京区、千代田区、墨田区、品川区、大田区、中野区、浦安市、御殿場市など多くの自治体で政策創造に関わった経験も役立っている。八王子学園都市大学、全日本不動産協会アカデミー、明治大学危機管理研究センター、神奈川工科大学など教育研究関係の活動が基礎になっているのはもちろんである。

 本書は、明治大学大学院政治経済学研究科2011年度博士学位請求論文「都市のガバナンスに関する実証研究──自治体の計画行政と危機管理を中心として── Experimental studies on urban governance:City planning administration and crisis management as their central focuses」を一般の読者向けに大幅に書き直したものである。本書をまとめるにあたって今回も三省堂の鷲尾徹さんに構成から表現に至るまで差配して頂いた。心から感謝を申し上げたい。

2012年5月

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●目 次
序 本書の目的と意義
1 都市のガバナンスにおける計画行政と危機管理

2 本書の構成

第1章 後藤新平の東京市政要綱と震災復興計画
1 後藤新平の都市計画と今日の東京

2 後藤新平の都市論

(1) 人間生活中心の都市論

(2) 効率性と快適性のバランスがとれた都市論

(3) 地域自治論に根ざした都市論

(4) 絵に描いた餅ではなく実現する都市論

3 都市計画と自治の精神

4 自治体総合計画としての「東京市政要綱」

5 震災復興の都市論──公共の福祉と個別私権の衝突

第2章 東京における都市基盤整備の歴史と課題
1 震災復興とオリンピックで整備された東京

2 鉄道利便性が高い都市

3 都市基盤整備の主要項目の変遷

4 オリンピック招致と公園計画

第3章 東京の政策決定システムと計画
1 大都市行政の一体性と23区

2 大都市における地域コミュニティの機能

3 東京一極集中批判と多心型都市構造論

4 道路面積率と環状立体道路計画

5 戦前からの公園計画

6 変遷を重ねた容積率制度

7 災害への対応

第4章 自治体計画と都市
1 自治体計画の意義

2 計画の種類

3 計画の策定過程

4 計画と市民参加

5 計画とプレス

6 基礎的指標の作成

7 都市とは何か

(1) 都市の定義

(2) 法律的には何が都市で、何が大都市か

(3) 都市と計画課題

8 戦後東京計画の系譜

(1) 東都政の長期計画と実施計画

(2) 美濃部都政の中期計画と『広場と青空の東京構想』

(3) 鈴木都政の長期計画と実施計画

(4) 青島都政の『とうきょうプラン’95』と『生活都市東京構想』

第5章 自治体計画の論点
1 目指すべき都市像

(1) 田園都市

(2) 世界都市

(3) 生活都市

(4) 庭園都市

(5) 都市の類型

2 計画とコミュニティ

(1) コミュニティとは何か

(2) コミュニティは計画でどう扱われてきたか

(3) コミュニティをめぐる論点

3 行政改革と計画

(1) リストラ行革から新しい行政へ

(2) パートナーシップ

(3) PFI

(4) 監査

4 意見の対立と調整

(1) 福祉は現金給付かサービス提供か

(2) 厳しい環境規制と産業廃棄物の回収義務

(3) 大型公共事業の継続・中止

(4) 住宅建設事業からの撤退・縮小

(5) 再開発や都市施設の建設

5 福祉計画

(1) 高齢者保健福祉計画

(2) 介護保険事業計画

6 環境計画

(1) 計画の基本

(2) 主な論点

(3) 公園・緑地

7 まちづくり計画

(1) 都市景観

(2) 眺望権

(3) コンパクトシティ

(4) 住宅密集地域

(5) 市民参加論における少数決主義の危険性

(6) まちづくりコンサルタントの活用

(7) 都市と環境

8 防災計画

(1) 災害対策基本法による地域防災計画

(2) 地域特性を反映させた防災計画

(3) 復興計画と復興条例

(4) 防災計画の留意事項

9 国土計画との関係

(1) 国民所得倍増計画と太平洋ベルト地帯構想

(2) 全国総合開発計画

(3) 新全国総合開発計画

(4) 第三次全国総合開発計画

(5) 第四次全国総合開発計画

(6) 21世紀の国土のグランドデザイン

(7) 均衡発展説の問題点

10 計画論からみた首都圏連合

(1) 首都圏連合の提案内容──広域計画の作成と実施

(2) 首都圏連合をめぐる論点

(3) 首都圏連合提案の背景と今後

11 海外諸都市の計画

(1) ロンドンプラン──業務・商業・サービス・住宅のいっそうの集積

(2) ナポレオン3世とオースマン知事のパリ大改造計画

(3) ローマの計画

第6章 ニューオーリンズと三宅島の災害からの復興過程
1 災害から学ぶこと

2 政治・行政、市民活動、企業の役割

(1) 復興とは人びとが元の生活に戻ること

(2) ニューオーリンズと三宅島交流のプロジェクトから学ぶこと

(3) プロジェクト以後の展開

3 市民活動の役割と可能性

(1) 復興に大きな役割を果たしているニューオーリンズの市民活動

(2) 日本のボランティア史を書き換えた三宅島支援活動

4 市民と行政の協働

(1) ニューオーリンズにおける市民と行政の協働

(2) 市民と行政の協働のためのリーダーシップ

(3) 三宅島ではなぜ孤立死を出さなかったか

(4) 避難所運営は住民の自治に委ねるべき

5 学校教育の再生

(1) ニューオーリンズにおける公立学校教育の崩壊

(2) ニューオーリンズのチャータースクール

(3) 三宅島では行政が中心となって対応した

6 ホームレス対策

(1) ニューオーリンズ特有のホームレス問題

(2) 東京のホームレス問題とその解決への道

7 住民が元の生活に戻るためのインフラ整備

(1) 政治・行政・企業にとって最も重要な仕事

(2) 現金給付は慎重に

8 ニューオーリンズと三宅島における課題

(1) その後のニューオーリンズ

(2) 噴火後の三宅島

第7章 危機管理概念の拡大と進化
1 危機管理の対象となる「危機」概念の拡大

2 「危機管理」概念の拡大

3 危機管理概念の拡大事例

(1) 孤立死の問題

(2) 老朽マンションの建替え対策

(3) 経済のグローバル化に対する消費者問題等への対応

4 東日本大震災からの復興

(1) 復興に向けて重要な視点

(2) これからの災害対策

(3) 安全な都市を世界にアピールすべき

(4) 復興を支えるための都市の経済活動

あとがき

参考資料

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●著者紹介
(あおやま・やすし)
1943年生まれ
明治大学公共政策大学院教授 博士(政治学)
1967年、東京都庁経済局に入る。中央市場・目黒区・政策室・衛生局・都立短大・都市計画局・生活文化局等を経て、高齢福祉部長、計画部長、政策報道室理事等を歴任。
1999年〜2003年、東京都副知事(危機管理、防災、都市構造、財政等を担当)。
2004年から現職

[専門]

自治体政策・都市政策・危機管理・日本史人物伝

[主な著書等]

『小説 後藤新平』〔ペンネーム:郷仙太郎〕1997年、学陽書房
『ロンドンプラン──グレーター・ロンドンの空間開発戦略』
  (ケン・リビングストン編)〔監訳〕2005年、都市出版
『自治体の政策創造』2007年、三省堂
『痛恨の江戸東京史』2008年、祥伝社(文庫)

 

 

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